GEN-DO|考えて、動く。

思考と行動のあいだにある「道」を探求するブログ。 日々の気づき、考え方のヒント、行動を変える習慣、そして剣道から学んだ哲学を綴る。 考えるだけで終わらせず、実際に「動く」ことで見える景色を共有する。

心とは?②│剣道における「平常心」について

昇段審査や試合など、大事な場面を前にして、これまでに何度この「平常心」という言葉を呟いてきたでしょうか。

剣道では、当たり前のように「平常心」という言葉が使われ、大事な場面では、「なるべくそうあろう」とすること以外考えたこともありませんでした。

今回は、「心とは」の第2弾として、「平常心」について、少し真面目に考えてみたいと思います。

平常心(模範解答)

全日本剣道連盟公式サイトにある剣道学科審査の問題例と解答例では、「平常心」について次のように説明されています。

物事(事象)の変化に対し、日頃の気持ちで動揺することなく、冷静に対応できる磨かれた心の状態をいう。事に臨んで心を動かすことなく、ふだんと変わらない平常の心で対処することは非常に難しいことである。剣道では、この平常と変わらない心を持たなければならないことを強く求めている。

全剣連の公式サイトには、このように書いてあるのですが、本当に知りたいのはこんなことじゃなくて、実際に大事な場面で自分の心とどう向き合うかということだと思います。

平常心という言葉の始まり

南泉普願 -「平常心是道(びょうじょうしんぜどう)」

「平常心」という言葉は、唐代の禅僧・南泉普願が、弟子の趙州従諗に「道とはどんなものですか」と問われた際に、「平常心是道 = ふだんの心が道である」と答えたことに由来するそうです。

宮本武蔵 ― 常の心

宮本武蔵は、『五輪書』(水の巻)において、「兵法心持の事」について以下のように述べています。

兵法の道に於いて、心の持様は常の心に替わる事なかれ。常にも、兵法の時にも、少も替らずして、心を広く直にして、きつくひっぱらず、少もたるまず、心のかたよらぬ様に、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其のゆるぎのせつなもゆるぎやまぬ様に、能々吟味すべし。

現代のアスリート達の言葉

イチローさんが語った「打席に入った時、何を考えるか」

この動画は、「ピンチやチャンスに打席に入るとあたふたしてしまう」という高校生の質問に、イチローさんが、第2回WBC決勝戦で延長10回表に勝ち越しタイムリーを打ったシーンを振り返って、その時の心の移り変わりを話す動画です。

出典:TBS SPORTS

武井壮さん「練習の時も、勉強の時も緊張する」

この動画は、「武井さんは、緊張とどのように向き合っていますか?」というリスナーの質問に、武井壮さんが答えるライブ動画です。(34'10~36'50)

出典:武井壮の燃えるような深夜ライブ


普通に読むと、先人は「いつも通りに」と言っていて、現代のアスリート達は「緊張して当たり前」と全く正反対のことを言っているように思えます。

本当にそうなのかな?と少し考えてみると、あることに気が付きます。
それは先人の教えと現代のアスリート達の言うことが正反対に聞こえるのは、「緊張しない方がよい」と考えている自分がいるからだということです。

森田療法における「あるがまま」

私が以前、心の問題で悩んでいたとき、それを解決してくれた書籍(森田療法(講談社))では、「あるがまま」ということについて、次のように説明しています。

たとえば、夜道を一人で歩くとき、恐いと思う。それは見通しのきかない暗闇で何が起こるかわからないからである。恐いという気持ちは、自然な感情として、「ある」のであって、その感情をなきものにしようとするのは不自然である。
「あるがまま」とは、こうした人間にとって当然起こり得る現象を素直に、そのままに受け止めておこうということである。
恐ろしさを取り去って夜道を歩こうというのは人間としてあるべき本来の姿に逆らっている状態なのである。
物事を“かくあるべし”というように自分勝手に歪めて、理想的に決めてしまおうとすると無理が生じるのである。

まとめ

森田療法に書かれている通り、心の中に緊張すべき理由があるのに、その「緊張」をなきものとしようとするとそこに無理が生じてしまいます。緊張する自分を受け入れることが"あるがまま"の心なのだと思います。

イチローさんの動画でも、最後に「一番ダメなのは平常心を保とうとすること」と語っており、大事な場面で心に生じるさまざまな感情を否定せず、心の“あるがまま”に立ち向かっていくことが大切であると伝えてくれているのだと思います。

平常時には、『「平常心でいよう」などとは考えない』というところまで含めて「平常心」ということなのではないでしょうか。


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