
剣道は修行じゃなければダメですか?
「今は苦しいかも知れないけど、続けていればいつか良かったと思う時がくる」
剣道をやっていると、これに類する言葉をよく耳にします。
●●大会を目指して毎日厳しい稽古をしている剣道部員を激励する言葉としては少しもおかしいとは思いません。
ですが、剣道全体にこの空気感が漂っていることを、何かつまらなく感じます。
剣道は修行だから「今」はいつも苦しいのが当たり前なのでしょうか。
剣道をしている人が「剣道の今はいつも苦しい」と伝えていたら、剣道をやる人なんていなくなってしまうと思うのです。
剣道は修行じゃなければダメですか?
剣道が修行といわれる理由
剣道理念には、
剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である
とあります。
そのため剣道では、技術だけでなく礼法や節度、克己心なども重視されます。
こうした背景から、剣道=修行と解釈されることは理解できます。
剣道に求めるものは人それぞれ
剣道を始める(続ける)人は、剣道ってカッコいいとか、面白そうとか、健康維持のためとか、そんな理由で始める人が大多数なのではないでしょうか。
修行だと思って剣道を始める人は、ごく僅かだと思います。一部の外国人とかにそういう人がいることも確かですが。
私は、剣道に限らず、人が何かをやってみよう思う理由(動機)なんて何だってよいと思います。
さまざまな理由で剣道を続け、行き詰まったとき、そんなときこそ剣道理念が「続けていること自体に意味がある」と教えてくれる。
私は、剣士が無理をして理念を成り立たせるのではなく、理念が剣士を支えるべきだと思います。
人間形成は剣道だけのものではない
そもそも「修練による人間形成」は、剣道だけの特徴なのでしょうか。
楽器でも、仕事でも、スポーツでも、何か一つのことを真剣に追求すれば、自分の未熟さや限界と向き合うことになります。
努力しても結果が出ないことがあります。
失敗して落ち込むこともあります。
それでも挑戦を続ける中で、人は少しずつ成長していくのではないでしょうか。
もちろん、剣道にも人を成長させる力があります。
しかしそれは、剣道だけが持つ特別な力というよりも、何かを真剣に追求することで得られる成長であり、剣道理念は、剣士達にそのことに気づかせてくれる存在ではないかと思うのです。
伝統は伝統
だからといって、「剣道で受け継がれてきた伝統的なものなんかいらない」と言っているわけではありません。
どんなスポーツにも起源があり、その名残が残っているものはたくさんあります。
何もかもが現在のしくみに合理しなければならないなんてことは全くないと思います。
例えば、マラソンが42.195kmなのは、古代ギリシャの兵士が「マラトンの戦い」の勝利をアテネ市民に知らせるために走り抜いた距離と言われています。
また、テニスの得点が15・30・40と数えられるのも、時計を使って得点を表していた時代の名残だと言われています。
剣道の起源は武士たちの真剣勝負にあり、礼を重んじ、相手を敬う文化が受け継がれてきました。
敗者を尊ぶ考え方には、命を懸けた勝負の歴史が反映されているのだと思います。
私は、こうした伝統や精神性には意味があり、それが剣道のアイデンティティであっていいと思います。
剣道の今は楽しくないのか
最初の話に戻りますが、剣道では「今は苦しいかも知れないけど」とか「今はわからないかも知れないけど」という言葉が使われることが多いと感じます。
その言葉の向こう側には、「剣道はあなたが知っている他のスポーツとは違うから(武道だから)」という理屈が透けて見える気がします。
しかし、修練による人間形成も、歴史や伝統があることも、別に剣道に限ったことではなく、他のスポーツも同じだと思うのです。
剣道だけが何か特別な存在ではありません。
より多くの人に剣道を続けてもらうためには「教えの通りやっていればいつか・・」ではなく、「自分で工夫する楽しさ」が必要だと思うのです。
まとめ
剣道には確かに人を成長させる力があると思います。
そして、その背景には長い歴史の中で培われてきた伝統や精神性があります。
しかし、だからといって「単に教えに従っていればよい」というものにしてしまってはいけないと思うのです。
剣道を続ける理由は人それぞれです。
強くなりたい人がいてもよい。
健康のためでもよい。
ただ楽しいから続けている人がいてもよい。
今の剣道に必要なのは、剣道の伝統を大切にしつつも、剣士に(特に子供達に)「自由に工夫する楽しさ」を感じてもらうことではないでしょうか。