
私は決して試合が強いわけでも、昇段が早かったわけでもないので、このテーマでわかった風なことを書くのは少し気が引けます。それでも長く剣道を続ける中で、どうしても無視できなかったことがあります。
それは「勝負には理屈では説明できない運がある」ということです。
力が拮抗した場面で、最後にいつも流れをつかむ人がいる、その逆の人もいる。
この説明しきれない部分を人は「勝負運」と呼ぶのだと思います。
武将が信仰した「戦いの神様」
歴史上の武将たちは例外なく信仰を持っていました。
- 織田信長が桶狭間出陣前に必勝祈願した「熱田神宮」
- 上杉謙信が熱心に信仰した「毘沙門天」
- 武田信玄が軍神として篤く信仰した「諏訪明神」
- 多くの武将が崇敬した「摩利支天」
- 武の神として多くの武将から信仰された「香取神宮」や「鹿島神宮」
昔の武将には今のような情報はなかったし、何よりも昔の戦はきっと天候などの自然の力に左右されることが多かったでしょうから、やるべきことをやり、神様に運を祈るという姿勢は、今よりももっと当たり前のことだったのかも知れません。
一流の人達が大切にする「運」
メジャーリーガーの大谷翔平選手が「運を拾う」と言って、スタジアムのゴミを拾って歩くことは有名な話ですが、その他にも多くの有名人がトイレ掃除を日課にしているなどといった話を耳にしたことがあるかと思います。
元プロ野球選手の桑田真澄さんも、「競技者には、技術を磨くことと行いを正しくして運を呼び込むことの二つのことしかできない」という趣旨のことを語っています。
どんな強打者も、投手がストライクを投げてくれなければ、ホームランやヒットを打つことはできないというのです。
桑田さんも、PL学園時代、毎日寮のトイレを一つづつ掃除していたそうです。
勝負運の正体?
では、勝負運とは一体何なのか。私は、運は神秘的な力というより「幸運な偶然に当たる確率」に近いものだと思っています。
たとえば、目の前にゴミが落ちているのを見つけた時
- 見て見ぬふりをするか。
- 一瞬迷って通り過ぎるか。
- 見過ごさず拾って捨てるか。
この小さな違いは、人格の違いとも言えますが、その瞬間に「幸運な偶然が起こる側」を選ぶかどうかの違いとも考えられると思うのです。
小さな選択が、幸運な偶然との遭遇率を変える
こうした幸運な偶然が起こる側の判断を繰り返している人は、
- 人から信頼されやすい
- 助けてもらえる
- 情報やチャンスが集まりやすい
- トラブルを未然に避けやすい
という環境に自然と近づいていきます。
つまり幸運な偶然に出会う回数が増えるのです。
ゴミ拾いやトイレ掃除は徳を積む儀式ではなく、「幸運な偶然が起こる側を選び取る判断回路」を日常的に鍛えている行為なのだと思います。
努力ができる人
脳科学者の中野信子さんは、著書『科学がつきとめた「運のいい人」』(サンマーク出版)の中でこんな風に言っています。
運がいい人は、自分は運がいいと決め込んでいる。そしてこれが運をよくするコツのひとつです。何の根拠もなくていいのです。これまでに、自分にはこんなツイていたことがあった、という過去の実績がなくてもかまいません。
(中略)運がいいと思っている人には努力の余地が生まれるが、運が悪いと思っている人にはその余地は生まれない。
「自分は運がいい」と思っている人の方が努力もできるのです。
勝負運とは「偶然に味方されやすい選択」
運は願ったところで来るとは限りません。
しかし、行動の癖は変えられます。
- 面倒でもやる
- 気づいたら整える
- その場の楽さより後味の良さを選ぶ
この積み重ねが、ある日、勝負の重要な局面でも、瞬間的に「偶然が味方してくれる側」を選ぶのではないかと思うのです。
勝負運とは持って生まれたものではなく、幸運な偶然が起きやすい方向へ、自分自身を日々動かしているかどうかなのではないでしょうか。
私はそんな風に考えています。