
それはそれ、これはこれという稽古では上手になれない
私が師匠から教わった言葉ですが、すごく的を射ているような気がして、常に心に留めています。
ついつい忘れてしまうのですが。
「それはそれ、これはこれ」とは
あたり前の話ですが、24時間365日同じ稽古をしてるわけではないので、稽古には必ず境目があります。
- 基本打ちと地稽古。
- 昨日の稽古と今日の稽古。
- 相手Aさんとの稽古と相手Bさんとの稽古。
これらに違いはあって当然ですが、気がつくと本当はそれらは別々のものではないということを忘れてしまっていることが多い。「忘れてしまう」と書いたのはそういう意味です。
基本打ちは基本打ちとして上達するけど、地稽古では全然違う技を使ってしまう。
その日の稽古はその日の稽古として終わり、別の日はまた0から稽古している。
そんな考え方をしていることが「それはそれ、これはこれ」ということなのだと思います。
やっているだけでは
週に何回稽古しているとか、
地稽古だけじゃなくて、基本打ちや応じ技も稽古しているとか、
たくさんの相手と稽古しているとか、
そうして稽古の回数や方法、稽古相手を増やしていると、充実感が得られて楽しいのですが、一生懸命やってるだけだと、いつの間にか「それはそれ、これはこれ」になってきてしまう(その時さえよければいいように思ってしまう)。
「今日の稽古は楽しかった〜」←これは問題ないかも知れませんが。
「切り返しはこうした方が美しい」
「Aさんをたくさん打つことができた」(Bさんには相変わらずだったけど)
たけど、どこかに稽古の回や方法、相手等に依らず「自分がそれで上手になってるのか」という視点を入れないと、それぞれが別々に上手になったり、その時の気分がよかったりしてるだけで、やってることが上達につながっているのか、わからなくなってきてしまいます。
稽古メモをつける
「自分がそれで上手になってるのか」という視点を入れるため、稽古の後に、簡単な「稽古メモ」を書くようにしました(このことはもう20年以上前の話ですが)。
- うまくいったこと、いかなかったこと。
- きれいに打たれてしまったこと。
- 今後こうしてみたいと思うこと。
そして次の稽古の前に、それを読み返して、前回の気持ちを思い出します。
稽古は「週何回」じゃなくて「生涯1回」、「基本打ちは地稽古のつもりで、地稽古は基本打ちのつもりで」そういう意識が持てるようになったと思います。
「習うより慣れろ」と言いますが、何十年もやっていたら、もう十分に慣れており、どこかに習う要素(自己学習という意味)を入れないとなかなか上達できないんじゃないかと思っています。
自分を戒める言葉
師匠は、「昨日は昨日、今日は今日という稽古では上手になれない」といったような具体的な言葉ではなく、「それはそれ、これはこれという稽古では上手になれない」と言ったのです。
それは恐らく「剣道の稽古にはそういう要素がたくさんあるよ」と伝えたかったのではないかと思います。
私のこの解釈が合っているのかどうかわかりませんが、この言葉がずっと私を戒めていることは間違いありません。